入院初日
そして、レントゲン撮影へ。
ここでまた撮影するベッドに移されるのですが、またしても悶絶。
まずはそのままの脚の状態で撮影されたのですが、「次はちょっと痛いですよ」と脚をグイッと真っ直ぐな状態にされ撮影。
一瞬ではありますが、激痛。またしても悶絶。
レントゲン撮影は終わりましたが、ストレッチャーの移動で悶絶。
もう、やめてくれ〜という感じ。
そして、多分また集中治療室に戻って、今度は着替えなければならないという事になったのですが、寝巻きは病院のものを使うしかとりあえずはないのですが、着ているジャージを脱がなければなりません。
上は自力で脱げますが、下はピチピチのビブショーツにレッグウォーマー。おまけに自転車に乗ってたわけですから、ノーパン。
パンツはオムツをするという事になりましたが、ビブを脱がすのにまた痛いのではないかと、了承頂ければハサミで切ります、と言われました。
じっとしていれば痛みもそれほど無いのですが、もう痛いのはこりごりだったので割とあっさりと「お願いします」と了承しました。
2シーズンしか着用していないraphaのン万円のビブはジョキジョキとカットされてしまいました(涙
着用してしていた物は全て妻が持ち帰ったのですが、これは写真を撮っておいてもらいました。
あと、右ひじも擦り傷がひどかったのですが、着ていたジャケットも無傷。ビブも無傷でした。
また、尿の処理をどうするか?尿瓶でするか、尿管を通すか?と問われ、「尿瓶で!」と即答しました。
そして着替えを済ませて整形外科の病室へ。
今空いているのが、追加料金のかかる個室1日¥12000位と有料大部屋の1日¥1620ですが、どちらにしますか?と聞かれましたが、これも即答で有料大部屋にしました。
手術は今日できなくはないが、大晦日ということもあるので明日にしましょうという事になりました。
手術にあたっては、とにかく色んな誓約書にサインをさせられました。
何かあっても病院には責任はありませんよ的なものです。まぁ滅多にはないと思いますが、当然の事なのでしょう。
明日元旦の9時半に手術の予定になりましたが、もし別件で命にかかわるような患者さんがいたらそちらを優先しますとも…。
もうそれは優先してください…。
そんなこんなで、整形外科の病棟に行き、ベッドに移されましたが、またしても悶絶。
でも「あ〜でもこれで移動はないな」と安心したのも束の間、しばらくして明日の医師に詳細を引き継ぎたいので、という事でMRIの撮影するとの事。
「また何回移動するんですか〜」と根をあげると1セット移動のない病室のベッドのままMRI室に移動。撮影をしました。
そこでまた脚を真っ直ぐにした撮影もしようとされたのですが、私があまりにも痛がるのを見て、やめになりました。ホッ…。
そしてようやく点滴やら痛み止めやらの管はついていますが、色々落ち着ける状態になりました。
病室は4人部屋で、先に一人患者さんがおり、私で2名。有料ということもあり、割とゆったりしていました。
しかし、ハッと気がつくと尿は尿瓶で何とかなるとして、大はどうするんだ?と。
聞くと、ベッドでする器具もあるけど、オムツにしてもらうしかない…と。
これはもう便意を催さないことを祈るしかありません。
手術前も浣腸とかするわけでなく、2日くらいオムツ着用だったので、非常にこれは気がかりだったのですが、結局車椅子で移動できるようになるまで便意がなかったので、助かりましたw
落車したのが午後1時半くらいだったと思いますが、この時点で5時くらいにはなっていたのでしょうか。
大晦日、家族で紅白でも見ながら年越し蕎麦を食べ…みたいな穏やかな年末年始を過ごすはずが、とんでもない事になってしまいました。
家の事や、仕事の事も頭をよぎります。
先生は「1ヶ月くらいは無理だろう」と言っておりました。仕事に関しては、私は東京まで通勤していますので、より一層難しい。普通の生活に戻るには色んな壁をクリアーしないといけないと言われました。
もう、起こってしまった事は仕方ないと半分開き直りもありましたが、まさか自分が骨折したりとか思ってもいなかったので、かなり気分は落ち込んでおりました。
付き添ってくれた妻に詫び、「家の事もあるから帰っていいよ」と言い、長い年末年始の夜を病室で過ごしたのでした。
救急搬送
救急車は意外に早く到着しました。
「あ〜本当に来ちゃったよ〜」という感じ。
4、5人が車から降りてきて色々状態を聞いてきます。
印象に残ったのは「頭を打ってないですか?」と何度も聞かれた事。
当然ヘルメットはしていましたが、全く頭は打っていませんでした。それは幸いだったかな、と思います。
全く動けないとわかると全員で持ち上げ担架に乗せて救急車内へ。
とにかく動かされると激痛が走るので、この時もうめいていたと思います。
仰向けの状態なので、もう天井しか見えないのですが、これが救急車内か、と。
毛布をかけてくれているのですが、寒さでシバリングが止まりません。
搬送する病院に電話してくれているのですが、ことこどく断られています。
4件目でようやく受け入れてくれる病院が決まりました。現場からは遠いのですが、自宅からは一番近い病院で、結果これは毎日お見舞いに来てくれた妻や、通院を考えると良かったと思います。
そのうち警察官も来て、色々聞かれました。
最初は誰かわからなかったのですが、自動車と接触した事故じゃないかと疑っていたようです。
外では妻も色々聞かれていた模様。
自転車の写真を撮影しまくっていたようです。私は骨折しましたが、自転車はほとんど無傷で警察官もどこかに傷があるんじゃないかと念入りにチェックしていたようです。
病院も決まり、救急車はサイレンならして出発。さすが救急車。病院までは割と距離はあるのですが、アッと言う間に到着してしまいました。
その間もずっと、何度も同じことを質問され、こちらも意識はあるので答えていました。あ〜そういうものなんだと思いました。
病院に着くとストレッチャーにまた数人で乗せ替えられたのですが、とにかくこの移動が辛い、痛い。
「1、2、3!」と掛け声をかけて乗せ替える、よく医療ドラマでよく見るやつです。
集中治療室に運びこまれ救急の先生が私の脚を見て直ぐ
「変形してるね。外旋しちゃってる。折れてるね」と言われました。
もう折れてると覚悟はしてましたが、決定打でした。
そして、この後レントゲンや、MRIとか撮るのですが、これがもう苦痛に悶えることになるのです。
大晦日の出来事
朝7時。
festive500の達成に向け走り出す。
コースは霞ヶ浦1周ショートカットコースにりんりんロードを絡めて、帰宅した時に残り142キロを完走しているようになんとなく設定。
カスイチは風も弱く順調に進む。
りんりんロードに入ってから小雨が降り出しましたが、気になるほどではありませんでした。
自宅までの距離を考えて、折り返しは「平沢官衙遺跡」に設定し、りんりんロードを外れて向かいます。
「北条大池」の手前の交差点を左右を確認して通過。目的地はもう目と鼻の先。雨は少し強くなっていました。
その時です。交差点のグレーチングを通過した時、ツルッと(多分)前輪がスリップ。
なすすべもなく、そのまま右側に転倒。落車。アスファルトに右脚付け根を強打し、転げてしまいました。
まさに一瞬の出来事、思いもよらない事態で、激痛もありましたが、最初は「うわっコケちゃった恥ずかしい〜」(誰も見てませんが)くらいにしか思っていませんでした。
スピードもそれほど出してなかったはずなので、打撲程度で痛みが引けば大丈夫だろうと思っていたのですが、立ち上がれないので、ズルズルと腕だ身体を動かして道端に移動。
自転車も手で引っ張って避けさせました。
通りがかった軽トラに乗ったおじさんが「大丈夫か!救急車呼ぶか!」と声をかけてくれましたが「大丈夫で〜す」と答えて座って、というか半身で寝転んでおりました。
雨もだんだん強くなってきました。
身体も徐々に冷えてきます。
何度か立ち上がろうと踏ん張りますが、全くダメ。右脚は激痛が走ります。
そのうち母娘の親子の乗った車が止まり「大丈夫ですか?」と声をかけてくれます。
「大丈夫です。」と答えますが、実はそろそろまずいかな、これは、と思い始めていました。
自力で動くのは無理と判断して、携帯を取り出し妻に迎えの要請をしました。
まだこの時は救急車を呼ばなくても、何とかなると思っていました。
雨に打たれ、かなり寒くなってきました。
先程声をかけてくれた親子の車がまた通りかかり「本当に大丈夫?」と声をかけてくれます。
「家の者に迎えを頼んだので大丈夫です。」と答えました。
「何もしてあげられないけど…」とカイロとビニール傘を使ってと渡してくれました。
このビニール傘は雨が本降りになっていたので、本当に助かりました。
どれだけ時間が経ったことでしょう。妻が迎えに来てくれました。
自転車を車に乗せ、肩を借りて立とうとしますが、全くダメ。痛くて立つこともできません。まず、動けないのです。
頑張ったのですが、もう無理。観念しました。
「救急車呼ぶよ!」と妻が119番しました。
「あ〜遂に初救急車か。こんな大晦日の日に…」
寒さでシバリングも止まりません。
そして、意外と早く、救急車のサイレンが聞こえてきました。
はじめに
これは自分への戒め、モチベーション維持の為に記録する日記である。
自転車に乗り始めて3年弱。
いくつかのイベントに参加した事もあるが、
初心者だし、仲間もなく、歳も歳なので、当然レース指向などもなく、ひとりで霞ヶ浦や筑波山系のヒルクライムなどを休日に楽しんでいるレベルの茨城在住のサイクリストです。
昨年はそれまで乗っていた中古の古いWレバーのパナモリから思い切ってオーダーした「kualis」に乗り換えて半年程経っていました。
そろそろ何か目標を決めて乗りたいな、と思っていましたので今年はブルベに挑戦しようと色々思案しておりました。
もともとロングライドやツーリングは好きでしたし、ブルベはレースではなく、完走が目標である事や全て自己責任において対処するところなど、性に合っていると感じていました。
昨年12月にAJ千葉にて開催されたトライアルブルベに参加して、何となく手ごたえを感じ、今年はブルベでSRを目指そう!などという大きな目標をたて、1月開催のブルベに申込みをしたりして、着々と準備を進めていたのでした。
それはさておき…。
年末に開催されるraphaのfestive500。
12月24日から31日の8日間で500キロを走ろうというイベント。
2016年に初めて参加して達成しました。
当然のごとく昨年2017年も参加。
大晦日12月31日の時点で残り142キロを残すのみとなっていました、
まだ距離的にはだいぶ残っていますが、1日で十分走れる距離です。
達成を目指して意気込んで走り始めました。
結論を申しますと、あと25キロを残した地点で落車してしまい、大腿骨骨折、救急搬送、入院、手術という顛末になります。
SRどころか、自転車に乗れるの?という怪我をしてしまい、この1年の計画がパーになってしまいました。
それどころか、家族、職場、各方面、色んな方に迷惑もかけてしまいました。
今日時点では退院もして、自宅療養といったところなのですが、こんな大怪我にも懲りず、リハビリして自転車復帰を目指すつもりでいます。
まさか自分が自転車に乗れなくなるような怪我をするとは全く考えていませんでした。
でももう起きてしまったことは仕方ありません。
という事で、このブログは先ずはこのリハビリ経過を残すものとして記していきたいと思っています。
次からは事故の顛末から入院中のことなど、すでに日にちもたっており記憶が定かではない部分もありますが、思いだして記そうと思っています。
とりあえずではでは。