路上の結末 リハビリ日記 SRへの道程

大腿骨骨折からのリハビリ、そしてSRを目指そうという記録

入院初日

そして、レントゲン撮影へ。

ここでまた撮影するベッドに移されるのですが、またしても悶絶。

まずはそのままの脚の状態で撮影されたのですが、「次はちょっと痛いですよ」と脚をグイッと真っ直ぐな状態にされ撮影。

一瞬ではありますが、激痛。またしても悶絶。

レントゲン撮影は終わりましたが、ストレッチャーの移動で悶絶。

もう、やめてくれ〜という感じ。

そして、多分また集中治療室に戻って、今度は着替えなければならないという事になったのですが、寝巻きは病院のものを使うしかとりあえずはないのですが、着ているジャージを脱がなければなりません。

上は自力で脱げますが、下はピチピチのビブショーツにレッグウォーマー。おまけに自転車に乗ってたわけですから、ノーパン。

パンツはオムツをするという事になりましたが、ビブを脱がすのにまた痛いのではないかと、了承頂ければハサミで切ります、と言われました。

じっとしていれば痛みもそれほど無いのですが、もう痛いのはこりごりだったので割とあっさりと「お願いします」と了承しました。

2シーズンしか着用していないraphaのン万円のビブはジョキジョキとカットされてしまいました(涙

着用してしていた物は全て妻が持ち帰ったのですが、これは写真を撮っておいてもらいました。

f:id:s651027t:20180118162351j:plain


あと、右ひじも擦り傷がひどかったのですが、着ていたジャケットも無傷。ビブも無傷でした。

また、尿の処理をどうするか?尿瓶でするか、尿管を通すか?と問われ、「尿瓶で!」と即答しました。


そして着替えを済ませて整形外科の病室へ。

今空いているのが、追加料金のかかる個室1日¥12000位と有料大部屋の1日¥1620ですが、どちらにしますか?と聞かれましたが、これも即答で有料大部屋にしました。

手術は今日できなくはないが、大晦日ということもあるので明日にしましょうという事になりました。

手術にあたっては、とにかく色んな誓約書にサインをさせられました。

何かあっても病院には責任はありませんよ的なものです。まぁ滅多にはないと思いますが、当然の事なのでしょう。

明日元旦の9時半に手術の予定になりましたが、もし別件で命にかかわるような患者さんがいたらそちらを優先しますとも…。

もうそれは優先してください…。


そんなこんなで、整形外科の病棟に行き、ベッドに移されましたが、またしても悶絶。

でも「あ〜でもこれで移動はないな」と安心したのも束の間、しばらくして明日の医師に詳細を引き継ぎたいので、という事でMRIの撮影するとの事。

「また何回移動するんですか〜」と根をあげると1セット移動のない病室のベッドのままMRI室に移動。撮影をしました。

そこでまた脚を真っ直ぐにした撮影もしようとされたのですが、私があまりにも痛がるのを見て、やめになりました。ホッ…。


そしてようやく点滴やら痛み止めやらの管はついていますが、色々落ち着ける状態になりました。

病室は4人部屋で、先に一人患者さんがおり、私で2名。有料ということもあり、割とゆったりしていました。

しかし、ハッと気がつくと尿は尿瓶で何とかなるとして、大はどうするんだ?と。

聞くと、ベッドでする器具もあるけど、オムツにしてもらうしかない…と。

これはもう便意を催さないことを祈るしかありません。

手術前も浣腸とかするわけでなく、2日くらいオムツ着用だったので、非常にこれは気がかりだったのですが、結局車椅子で移動できるようになるまで便意がなかったので、助かりましたw


落車したのが午後1時半くらいだったと思いますが、この時点で5時くらいにはなっていたのでしょうか。

大晦日、家族で紅白でも見ながら年越し蕎麦を食べ…みたいな穏やかな年末年始を過ごすはずが、とんでもない事になってしまいました。

家の事や、仕事の事も頭をよぎります。

先生は「1ヶ月くらいは無理だろう」と言っておりました。仕事に関しては、私は東京まで通勤していますので、より一層難しい。普通の生活に戻るには色んな壁をクリアーしないといけないと言われました。

もう、起こってしまった事は仕方ないと半分開き直りもありましたが、まさか自分が骨折したりとか思ってもいなかったので、かなり気分は落ち込んでおりました。

付き添ってくれた妻に詫び、「家の事もあるから帰っていいよ」と言い、長い年末年始の夜を病室で過ごしたのでした。